フランス 悲劇関連エントリー
[本]矢作俊彦『悲劇週間』
悲劇週間―SEMANA TRAGICA (文春文庫) posted with amazlet at ... 語り手はさまざまで、元 幕臣 の庭師や、幕府に フランス 近代法 術を教えた経験を持つ フランス語 教師が、 戊辰戦争 や パリ・コミューン と第3共和制政府の戦いを語る。 ...
![[本]矢作俊彦『悲劇週間』](http://www.surobenia.com/styles/images/more.jpg)
フランス悲劇女優の誕生
私は最近寝る前に 『フランス悲劇女優の誕生』 を読み、中世フランスにタイムスリップしておりました。ルイ14世の時代、演劇と宮廷は切っても切れない仲。 大奥もびっくりの愛憎劇 と、劇団特有の(?) 恋のメリーゴーランド が一大展開され ...

切ないおフランス悲劇
ウチのママんぐがフランス、ベルギー研修より戻ってまいりました。 そんで今日早速実家へ寄って来ると、 こまごまとお土産をくれました^^ まず ... ぴったりというチー・・・ズ? ・・・・・・・・が! ここで悲劇が!!!!! ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ...

フランスのイケメンの悲劇……
「Destin」は運命、宿命。「tragique」は悲劇。 昨日、フランスのイケメン俳優のギョーム・ドパルデューが急性肺炎で亡くなりました。父親は、あのジェラール・ドパルデューです。 日本でも名優という方々が亡くなってますが ...

ヨーロッパ環境探検記 ~悲劇な週末&休日編~
... なんかおかしいなあと思ったら 悲劇だった。 (悲劇その1) フロントでチェックインをして ... ストラスブールは歴史が古く、今はフランスの領土だがドイツ領になったりと複雑な歴史を持つ。 駅は、フランスの古都らしさと、斬新なデザインを ...

フランス 悲劇に関する質問
過去の日本代表VS日本代表。さぁ戦ってみよう!
'06年ドイツW杯の日本代表'02年日韓W杯の日本代表'98年フランスW杯の日本代表'93年ドーハの悲劇(予選大会)の日本代表ありえない事ですが、これら4つのチームが総当りで戦うとします。当時のメンバーが当時のままの状態で
フランス革命に詳しい人に質問!ベルばらのマリーアントワネットって実際と違う面が
子供のころベルばらを読んでオスカルのかっこよさもさることながら アントワネットの悲劇性も感動しましたが、最近大人になり「令嬢テレジア」という同じくフランス革命のマンガを読み(こちらは実話の女性が主役) ベルばらのとアントワネットが全然違います。そ
ジダンって
もう、ジダンは負ければ即座に引退ですよね。ワールドカップを見る人は、今のスターのロナウジーニョとが活躍するのと、過去の(今もすごいですが)スターの活躍をしてほしい!ってどちらですか?僕的には、ロナウジーニョはまだまだ、こらからいくらでも
アイスキュロスのフランス語 Eschyle
古代アテナイの三大悲劇詩人のひとり、アイスキュロスは、フランス語でEschyleと表記するらしいのですが、これをカタカナで表記するとすればどうなるのでしょうか。
こんな戦勝ムードのときにスミマセン
思い出せないんです。ジョホーバルの悲劇と、ドーハの悲劇は、どっちがどの大会でしたっけ。そのあたりをごく簡単に(どんな選手が出てて、監督が誰で、どこに負けたのかなど)教えてもらえませんか。よろしくお願いいたします。
フランス 悲劇旅行記
4.日本へのエルトゥールル号派遣までの、背景(by pedometer-kenさん)
表題は、少々調べ、また現地のガイドさんの話を聞いて、私なりに組み立てたものですので、軽く聞き流して頂きたいのですが。
エルトゥールル号遭難についての詳細は、ウキペディア等で、いろいろん記述があります。「それにしても随分とおおぜいの乗組員が乗っていたなぁ…」、がまず感じました。
また、たくさんの犠牲者(串本遭難時587名・生存者69名)を、心から悼んでの私の心境でもあります。
当時の常識として、この軍艦(2344トン)では、何人程度が適正かは推測もできませんが、約660名近くの乗組員が乗っていて、東京で明治天皇に拝謁等の後、帰路和歌山・串本の岩礁に乗り上げ遭難したわけです。 (1890年9月16日)
今回トルコへ行って見て、地元のガイドさんは、エルトゥールル号について下記のような説明をしていました。
1887年、日本の天皇の名代として小松宮彰仁親王が、イスタンブールに行き、オスマン・トルコの皇帝に拝謁。
また、、皇帝も訪問に感謝、その答礼訪問を検討、関係各国に皇帝特使派遣の意向を、打診した。
当時のトルコを取りまく地政学上の強国は、イギリス・フランス・帝政ロシアだった。
特に、最強のイギリスは、帝政ロシアに対抗するための連携にしても、オスマン・トルコが日本と手を組む等でオスマン・トルコが、再び力を持ち始めることへの警戒感が強かった。
トルコの艦船の外洋への航行には拒否反応。
(イギリスは、スエズ運河、ジブラルタルを押さえていたので、イギリスの影響力は大。また、スエズ運河の自由航行に関する条約はあったが、やはりイギリスの承諾なければ当時のトルコとしては、艦船を出せなかったのでしょう)
再三にわたる折衝の結果、士官学校生の訓練航海であるとするなら外洋航行は認めるとなったようです。
1889年、スエズ、アデン、ボンベイ、シンガポール、サイゴン、香港、最終の日本へ出航。
ただ、超遠洋航海には、それ相応のベテラン乗組員が不可欠だったのでしょうが、イギリスとの折衝の結果として、海軍士官学校の生徒中心に乗組員が組まれ、「生徒の訓練航海」で、東南アジア・日本への訓練航海として出航したようです。
超遠洋航海、25年前に造られた木帆船の軍艦、士官候補生主体の訓練航海、途中コレラ罹患死者も出す大変な航海、その最終結果は、乗組員の9割を失う。
また、その大半が、将来を期待されていた士官学校生。おおぜいの遺族の嘆き・悲しみ、いかに当時のオスマン・トルコの人々にとって、大変な悲劇的な出来事だったか想像できます。
悲劇の陰にイギリス、フランス等の不当な干渉がなければ、この事件は起こらなかったとの怨む感情もあったように感じました。
トルコ人のガイドさんは、遭難事件での日本人の対応に大変な感謝を示しつつ、当時のオスマントルコの苦しい立場世界の覇権舞台から没落して行った祖国について寂しげに説明していました。
遭難事件については、ロシア・イギリス・フランス等への強い反発があったことから、なお一層、当時の日本政府の手厚い対応、また、山田寅次郎氏等一部民間人の大いなる貢献に、トルコの人々は、大変感銘を受けたとも考えられます。
資料 ウキペディア、ニコライ皇太子遭難事件
フランス南西部 美しい村・ロマネスク寺院をレンタカーで巡る (12)- カタリ派 怨念の雨 - (by パルファンさん)
コルド・シュル・シェルを出、アルビの町に入らず、田舎道を通って宿泊先のカルカッソンヌに向う。
この領域はカタリ派が多く住み、また潜んだところ・・
ローマ教皇から異端ということで、迫害・惨殺を受けたカタリ派の悲劇に関して紐解くことはタブー視され、歴史上葬られてきていた・・
(表紙は、カルカッソンヌの町の門を出る、囚われたカタリ派の人々)
KURATA PEPPER(クラタペッパー)#206E0 St.63/322, Phnom Penh Cambodia(by しんちゃんさん)
カンボジア・コッコン州産。香りの有機栽培。ブラック・ペッパー。読売新聞切り抜きからです「高校一年生だった1985年、一本の映画が人生を決めた。70年代のカンボジアを舞台にした英国映画「キリリング・フィールド」。ポル・ポト派による国民虐殺という悲劇に言葉にならない衝撃を受けた。「何が起きたかのか、自分の目で確かめたい」。高校、大学時代を通して頭の中はカンボジア一色、碑文の研究書まで読みあさった。…略…「荒廃した国を一から作り直すには、まずは産業の育成」との思いを強くした。…略…プノンペンで貿易会社を起業した。ドリアン、ヤシの実の輸出は失敗、暗中模索が続いたころ、60年代のカンボジア農業統計書の中に「品質が良く、フランスでも珍重されていた」との説明があるコショウの項目に目が留まった。…続く…
マルセイユの悲劇/Marseille, France(by ippuniさん)
2010年3月28日 夜8時20分 マルセイユ。
私はこの時刻、あの景色、旦那の悲鳴、あの時の心臓がもぎ取られたような気分を一生忘れないでしょう。
そして、私の命同様大切なものを奪った彼らを、一生許すことはないでしょう。
*****
去年の12月に新しい仕事を始めた私は、心身共に疲れきっていて、でも契約上、有給を取る事は許されておらず、パリに監禁状態になっていたある日、思わぬ休日出勤で代休をもらうことが出来、やっとの思いでもらった1日の代休ともともとの休みを合わせて2泊3日の短い日程でマルセイユに小旅行に行くことにしました。
とても楽しみで、かなり前からTGVやレンタカーを予約し、以前から行ってみたかったコルビジェの集合住宅に1泊、港の夜景が綺麗なソフィテルに1泊という日程で準備を進めました。
出発の前日も夜中に家に帰ったので、準備があまりできず、ほぼ夜逃げのような状態でTGVの駅に向かい無事に電車に乗り込みました。あとは、着いてから思いっきりこの3日間を楽しもう!と心に決めて。だから着いてから1日だけの予定だったレンタカーを2日に延長してもらいました。
レンタカーの窓口の人は、私たちに何度も、車は常にロックすること、大事なものはトランクに入れておくことと注意をしました。その時私たちは「きっと危険なのね」と軽く思っていました。心のどこかでは、私たちは旅慣れているし、今まで一度も被害にあったことが無かったので、油断していたのかもしれません。
車に荷物を積んで、まずは1日目に泊まる予定のコルビジェホテルに向かい、無事にチェックイン。最初から期待していたわけではないけれど、直感的に思っていたよりも物騒な感じだったので、私も旦那も貴重品は全てバックに入れて持ってホテルを出ました。
ちょうどこの日はサッカーで何年ぶりかにマルセイユのチームが勝ったそうで街中は人でいっぱい。そんなことも知らずに私たちはその人ごみの中に入ってしまい、身動きがとれず、やっとの思いで抜け出しました。それで、この日は観光を諦めて、いくつかマルセイユの中心以外の場所を見て周ることにしました。今思えば運転中何度も危険なことがありました。人ごみで前のガラスを叩かれたりとか、薄暗くなったロンシャン宮で一人で車を降りて写真を撮りに行ったりとか。
なんとなく不安な気分、なんとなく物騒な町の雰囲気、なんとなく落ち着かない感じ。海外旅行に慣れていればいるほど、この「なんとなく」という直感をもっと信じればよかったのです。今回の事件は、私たちの直感を自分らが無視した、その報いとも言えます。
カージャックにあった経緯は、本文に書きましたのでここでは省略します。
後悔しても何しても、もう取り返しのつかないこと。
盗まれたものの中には、パスポートやフランスの滞在許可証、日本の免許証、フランスの免許証、多数のクレジットカード、小切手や現金などを含めて約400ユーロ(5万円強)、手帳やお守り、日本の携帯電話、家の鍵、帰りの列車のチケットやホテルのバウチャー、その他もろもろと、そして、私の命に代えられるほど大事なもの。
今でもあの現場、あのときの様子がスローモーションで頭を過ぎります。強盗5人組。周囲の人は私たちが生きていただけでも喜ばなければならないと言います。確かにそうかもしれません。でも私は今後一生復讐心を抱きながら心の中のぽっかり空いた空間を埋めることも無く生きていかなければなりません。私の代わりにさらわれてしまった・・・・・それを考えるだけで息が吸えないほど苦しいです。
カージャックに会った後、数件の警察を回り、どこも相手にしてくれず、日本大使館のホットラインに連絡してマルセイユ領事に助けを求めました。とても良い領事で夜遅いのにホテルまで来てくれることになり、ホテルに戻り領事と会って部屋に戻ってからメールをチェックしたら、1通のメールが来ていました。そのメールには「あなたの財布を拾った」という英語の一文と、旦那の所属や名前が書かれたものでした。財布の中に身分証など一切入っていなかったのに、どうして旦那のメールアドレスが分かったのか、分かりません。本当に良い人かもしれないし、犯人の仲間で私たちの姿格好を確かめたかったのかもしれません。疑わしいことは一つ二つではありませんでしたが、警察や領事にこのことを伝えながら危険を覚悟でその人に会うことにしました。その後の経過についてはこちらに載せるのは控えさせていただきます。
最後に今回私たちを助けてくれた人々に、本当に心から感謝します。
夜中に見ず知らずの私たちのためにホテルまで来てくれて、ポケットマネーでお金を貸してくれたマルセイユ領事の方、前日から何も食べていない私たちに快く朝食を準備してくれてお金を受け取らなかったコルビジェホテルのスタッフ、そしてホテル代が払えなくて困っている時に自分のクレジットカード番号などを教えてくれた旦那の同僚、チケットなしでパリ行きの列車に乗り事情を話したら理解してくれた検札のおじさん、そしてしばらくの間の食料として保存食を供給してくれた領事館の人々、鍵をなくしてしまったので家に入れない時にすぐに対処してくれた大家さん。
一瞬冷たそうに見える日本のお役所やフランス人の人々ですが、本当に困ったときは助けてくれると言うことが分かりました。
これからマルセイユや南フランス、パリを旅行される方、本当に気をつけてください。後から分かった事実ですが、パリに住んでいる知り合いの中で、強盗や空き巣、スリなどの被害を受けたことが無い人がいません。全ての人がなんらかの形でやられているのです。そして知り合いのお母さんもニースの高速道路でカージャックにあったとのことでした。赤信号で信号待ちをしているときに助手席のガラスを割ってバッグをひったくって行ったとか、道を聞くふりをして運転手に話しかけ別の仲間が後ろの扉を開けて車の中のものを持っていくとか、そんな事件が頻繁に、本当に頻繁に起きています。私も今回やられるまでは、人事でした。
領事館の人は、「ここはもぐらたたきみたいなもので、出れば打たれる」とまで言っていました。
第二の被害が起きないことを心から祈っています。
追伸:なんだかまだ心の整理が出来切れておらず、文章が上手く書けていませんが、そのうち徐々に直しておきます。
【旅行時期】2010/03/28~2010/03/30
【エリア】
マルセイユ
【テーマ】
【投稿者】
ippuni
ヨーロッパ鉄道 10日間で5カ国を巡る旅《3日目ケルン~ブリュッセル編》(by オメンパンさん)
3日目
ブリュセル行きの目的はチョコレートを買いまくり、ワッフルを食べまくり、ムール貝でランチ^^の予定だったのですが・・・
悲劇がぁぁぁ
【この旅の経緯】初めてのヨーロッパ
ドイツ・フランクフルト空港発着のエアチケットをゲットし
10日間をどう過ごすか考えた結果、鉄道でドイツ→ベルギー→
フランス→イタリア→スイスを巡る旅に決定。
なぜ、この5カ国なのか?
理由その1:
スペインやイギリスにも行きたかったけど、距離が遠くなるハードな旅は嫌!
理由その2:
移動に飛行機を使うと待ち時間が多くなりそう・・・
理由その3:
途中でスケジュール通りにいかなくなってもドイツを中心に回るので帰りの飛行機に乗れないようなことはない。
理由その4:
少ない日数でもたくさんの国で本場の味を満喫したい!(名物を食べ尽くすには1カ国最低2日間は必要?!)
世界遺産よりグルメ・・・でしょ
しかし、初日ドイツでは12月24日にはクリスマスマーケットも終わり、レストランも閉店・・という悲劇からのスタート(><)
フランス 悲劇関連エントリー
切ないおフランス悲劇
ウチのママんぐがフランス、ベルギー研修より戻ってまいりました。 そんで今日早速実家へ寄って来ると、 こまごまとお土産をくれました^^ まず ... ぴったりというチー・・・ズ? ・・・・・・・・が! ここで悲劇が!!!!! ・・・・・ ・・・・・ ・・・・・ ...

11.25.(火・快晴)カンボジアの悲劇、「運命の門」を ...
... 等々、ポルポト政権下のクメールルージュの悲劇については色々な本が出ていて、僕も既に数冊は読ん ... アンコールワットよりか価値ある場所かも知れない。 ツールスレンのリセ、 フランス大使館、 日本橋、 フランス学院、 等々、見るべき場所は多々ある。

「ブーリン家の姉妹」 王室の願望、貴族の権力への欲望、そ ...
... 貴族の権力への欲望、その間で蹂躙された姉妹の壮絶悲劇魅力度★★★(最高5)1.真相 イギリス王室の跡目がどうやって決まったのか ... しかし、フランスへ修行に行って帰ってきたアンのプライドに満ち溢れた美しさに惚れなおし ...

トルストイの家庭生活①
... 宮本百合子 フランスの『マリアンヌ』という新聞に、ロシアの大文豪であったレフ・トルストイの孫息子 にあたる ジャンという少年が ... トルストイを最後の悲劇に導いた 夫婦の間の生きる目的の分裂が 仄見えはじめているのである。 ...

ビゼー:歌劇「ジャミレ」 (Bizet, Georges: Djamileh)
... 悲しいところでもあるのですが悲劇ではありません。 それだけに起伏に乏しく劇的でないのが、そのときどきのぼくにはうれしいのです。 ... 一概にはいえないでしょうが全体にフランス・オペラのひとつの特徴なのかもしれません!? とにかくぼくは聴い ...
